1946年3月7日、マーシャル諸島・ビキニ環礁での核実験を控えた米国は、167人の島民を同環礁から強制的に避難させました。この避難から78年、今もなおビキニの人々は避難生活を余儀なくされています。故に彼らは、故郷からの移住を強いられた3月7日を「ビキニデー」と呼んでいます。
「ビキニ」はもともとマーシャル語で「たくさんのココヤシ」という意味を持ちます。明星大学の竹峰誠一郎氏の著書「マーシャル諸島 終わりなき核被害を生きる」(2015年)では、ビキニ住民の回想(一部)が以下のように紹介されています。
「ビキニはとてもいい場所だった。島と島とをカヌーで巡っていたさあ。いろいろな食べものがたくさん採れたしね。ココヤシ、パンノキ、タコノキ、タシロイモ、ロブスター、カメ、海鳥……。大きなカヌーだと20人くらい乗れたもんだ」
「美しくて、たくさんの魚や鳥、ウミガメがいて、ヤシの木が生い茂り、広大なラグーンもあり、カヌーに乗って島民は自由に動きまわっていたんだ。ありとあらゆる珊瑚礁の魚が捕れたのさ。カヌーや家を作ったり、敷物などの手工芸をしたりもしていた」
ビキニと聞くと水着を思い浮かべる人が大半だと思いますが、この由来は上記のように豊かな自然に恵まれ、そして米国による23回の核実験が行われたこの環礁の名前から取られています。
今回は、ビキニの人々にとっての「ビキニデー」に合わせて、今もなお、同環礁からの避難を余儀なくされ、キリ島、ビキニ島、エジット島に散らばる住民たちの首長、トミー・イルジマンさんのメッセージをご紹介します。ビキニという名称についてイルジマン首長は「これは水着を意味する名称ではなくて、マーシャル語なんだよ」と私たちに語りかけました。
竹峰氏の同著では、次のような出来事も紹介されています。1946年2月10日、米軍政長官は敬虔なクリスチャンであったビキニ住民に、旧約聖書の「イスラエルの民が神によって約束の地へ導かれ、敵から救われた」ことを説きました。ビキニの人びとをイスラエルの民と重ねて、移住が「神の導きによる約束の道である」とし、さらに核実験が「人類の幸福と世界の戦争の終結のため」である説明したのです。
マーシャル諸島で行われた67回の核実験によって、たくさんの環礁が被ばくし、今もなおさまざまな形で苦しむ人々がいます。核兵器とはなにか、核被害とはなにか。犠牲を強いられてきた人々の声に、耳を傾けてみてください。
引用文献
竹峰誠一郎(2015)「マーシャル諸島 終わりなき核被害を生きる」新泉社。